月曜日 01 3月 2021, 15:51

エムボマ:金メダル以上の喜びはなかった

  ・シドニー2000でカメルーン代表と金メダルを獲得   ・シドニー2000では得点ランク2位   ・エムボマが不屈のライオンの快進撃を振り返る

カメルーン代表のFWパトリック・エムボマのキャリアは、オリンピックと日本とは切っても切り離せない関係にある。パリ・サンジェルマンで出場機会に恵まれなかったエムボマは、日本で実力を試すことを決め、ガンバ大阪に移籍した。

リスクを伴う移籍だったかもしれないが、ここで大ブレークして注目を集め、ヨーロッパに復帰。母国では誰もが認める代表選手の第1候補となった。1998 FIFAワールドカップ・フランス™への出場を皮切りに、2000年と2002年のアフリカネイションズカップでは優勝。シドニー2000のオリンピック男子サッカー競技でも、金メダルを獲得したのだ。この大会では得点ランク2位となる4ゴールを記録している。

カメルーンの金メダル獲得は、ナイジェリアの金メダル獲得から4年後の出来事だった。エムボマはFIFA.comの独占インタビューで「今でも選手としての最も誇らしい達成だった」と明かした。

FIFA.com:1997年に日本行きを決心した経緯は? パトリック・エムボマ:驚いたことに、彼らから声をかけてくれたのです。当時はリカルド監督率いるパリ・サンジェルマンに所属していましたが、試合に出場できていませんでした。代理人からガンバ大阪がオファーを出したいと言っているとの連絡をもらいましたが、最初は乗り気ではありませんでした。考え直したのは、パリの8倍の年棒を提示され、さらにレギュラーとして保証されたからです。ビッグネームの選手が日本で活躍しているのを知っていましたし、日本での最初のトレーニングで自分は大きな仕事ができると確信しました。

移籍後初シーズンで24ゴール15アシストを記録し、クラブは後半戦を2位で終えました。日本サッカー界でトップに立つのにわずか数か月しかかかりませんでした。マスコミもファンも私に夢中になりました。私はそれを心から誇りに思い、大きな自信となりました。

ヨーロッパのスカウト網から外れることを心配しなかったのですか? 忘れられてしまうリスクがあるのは分かっていました。だからこそ、経済的なメリットが必要でした。最終的にはパリから日本以上の金額を提示されましたが、当時のトップリーグだったセリエAを選び、カリアリと契約しました。私はカメルーン代表に選出され、1998年のワールドカップ出場に貢献しました。日本に行くという冒険が報われたのは間違いありません。

オリンピックのシドニー2000に臨んだ時、どのようなことを考えていましたか? メダルを取ることは考えていませんでした。チームの全員を知っていたわけではありませんでしたし、マルク=ヴィヴィアン・フォエ、サロモン・オレンベ、リゴベール・ソングといったビッグネームの選手は、クラブから五輪出場の許可がおりなかったことも知っていました。

半年前のアフリカネイションズカップに出場したメンバーは、サミュエル・エトーを含めて5人しかいませんでした。エトーとは一緒にうまくやれると分かっていましたが、それだけではチームを作ることはできません。2人で「タフな大会になるだろうな。写真でも撮りに行くことにするか」と笑い合っていました。飛行機に乗る前にデジタルカメラを買いに行きました。シドニーには観光客として行ったのです。私はスポーツ界の世界的スターたちと交流できる機会に興奮していましたが、すぐに失望しました。カメルーンは選手村に滞在しなかったからです。

メダル獲得の可能性があると気づいたのはいつですか? ゆっくりと、しかし確実に自信を深めていきました。最初は、笑いものにならないようにプレーすることを心がけていました。グループリーグ突破を果たすと、準々決勝でブラジルと対戦することになりました。「参加できて良かった。胸を張って頑張ろう」とだけ私たちは言いました。

自分たちの決意の強さに驚きましたか。 ブラジルは優勝候補の筆頭でした。彼らにはロナウジーニョがいました。彼の名前は聞いたことがあっても対戦したことはありませんでしたが。ブラジルはカメルーンを少し見下していたと思います。試合の入り方を間違えると、それを正すのは難しいです。ブラジルは困難な状況に陥り、互いに怒鳴り合っていました。ブラジルがカメルーンより優れているのは明らかでしたが、チームとして機能していませんでした。私たちは、強い気持ち、コミットメント、決意で違いを生み出したのです。

あなたは17分にフリーキックを決めました。 うまく説明できませんが、ボールをセットして一歩下がった瞬間に、得点できると思いました。自分のキャリアの中で重要なゴールをいくつか決めてきましたが、私はシニシャ・ミハイロヴィッチやミシェル・プラティニのようなフリーキックの名手ではありませんでした。でもあのゴールはチームを奮い立たせてくれました。

アディショナルタイムにロナウジーニョに同点弾を決められ、不安になりましたか? もちろんです。同点にされた上に、2人目の退場者を出してしまいました。ブラジルに対して9対11で戦っていたのです。私の調子は良かったですが、監督に交代させられました。それでもカメルーンは決勝点を奪うことができました。

準決勝では、絶好調のイバン・サモラーノが率いる、得点力の高いチリと対戦しました。 ブラジルに勝ったことが大きな自信となりました。前半の20分間はチリを圧倒し、クオリティの高いプレーができていました。問題だったのは、出場停止で2人のディフェンダーを欠いていたため、ディフェンスはオフサイドトラップを仕掛けることに決めていたことです。惨事となりましたが、キーパーのカルロス・カメニが孤軍奮闘してくれたおかげで、試合に残ることができました。

しかし、残り約10分でオウンゴールを喫してしまいました。後半はチリが一方的に試合を支配していたので、もう終わりかと思われましたが、私はそこから何とか奮い立ち、まだ終わっていないと自分に言い聞かせました。そして、チームを鼓舞して立ち直らせました。その数分後に私のゴールで追いつくと、ローレンが土壇場でPKを決め、信じられないような逆転劇が完成したのです。

決勝戦ではさらにとんでもない逆転劇を起こしましたね。スペインは開始2分でシャビのゴールで先制すると、前半終了までにリードを2点に広げました。 試合開始直後にカメニが(ミゲル・アンヘル・)アングロのPKをセーブしたことを忘れてはなりません。カメルーンはいいプレーをしていました。スペインの2点目はちょっとした偶然でしたね。問題だったのはカメルーンのベスト選手であるエトー、ローレン、ジェレミの3人はラ・リーガでプレーしていたので、スペイン人選手をかなり恐れていたことでした。

ピエール・ウォメと私はイタリアでプレーしていたので、もしイタリアと対戦したら怖気づいたかもしれません。でも、あの試合では自分たちが劣っているとは感じませんでした。私たちはチームの士気を高め、全員がポジティブに考えるようにしました。

ウォーミングアップでは、チームメートとたくさん話をしました。ハーフタイム時の監督は本当に落ち込んでいました。私は立ち上がり、スペインが45分で2得点を挙げることができたなら、自分たちにもできるはずだと言いました。自分たちにはオリンピックで金メダルを獲得して、歴史を作るチャンスがあるのですから。これで、監督を含めた全員が息を吹き返しました。監督は2人の選手を交代させ、チームを再編成しました。それが功を奏して、15分後に同点に追いついたのです。

スペインの反応はどうでしたか? パニックになっていました。試合ではメンタルが重要です。スペインは1人退場となり、さらに2人目の退場者も出してしまいました。私たちの準々決勝のブラジル戦と同じ状況です。しかし、カメルーンが数的有利に立っても、スペインがまだ終わっていないのは分かっていました。スペインのフリーキックがゴールポストを叩いた時は特にそう思いました。

そのあと数分間、私たちは動きが止まってしまいましたが、再び攻撃に転じました。エトーが決勝点を挙げたと思われましたが、オフサイドと判定されました。試合はPK戦に突入し、アフリカネイションズカップの決勝戦でPKを決めた5人の選手が、再びPKを決めました。

GettyImages-1063296

金メダルを受け取ったときの心境は? それまでにもいくつかの大会で優勝を経験し、その中には土壇場でのゴールやPKでの勝利もありました。 そういった優勝をした後は何週間も笑顔になっていますので、オリンピックチャンピオンになったとき、どういう気分になるのか想像してみてください。オリンピックの金メダルは、プロとしてのキャリアをスタートさせるときに夢見るものではありません。普通夢見るのは、アフリカの大国のためにプレーしたり、アフリカネイションズカップで優勝したり、ワールドカップでゴールを決めたりすることです。

オリンピックに出場するまでに、私は代表チームでやりたいことは、ほぼすべて達成していました。ですから、オリンピックでメダルを獲得することは考えていませんでした。ところが、その2週間後にオリンピック優勝を果たしたのです。カメルーンに初めて金メダルをもたらしたことも忘れてはなりません。言葉ではいい表せない喜びを感じました。

私は20年以上も表現しようとしてきましたが、あの金メダルを獲得したこと以上に、サッカーで喜びを感じたことはありません。国家を歌ったとき、いや、叫んだとき、私の頭の中はポジティブさに満ちあふれていました。私たちはオリンピックに向けて十分な準備ができていませんでしたし、何度もノックアウトされそうになりました。そう、あの優勝は突然やってきたのです。

GettyImages-1063188